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状況が落ち着き次第、再度、更新に努めてまいります。
宜しくお願い致します。
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以前、サプリメントの紹介の際、私自身の体調、22週の超早産・500gの超未熟児で産まれた、次男の事を少し記載していました。
今日は、記事をもう書かないと思っていましたが、アクセス解析を見ていたら、超早産・超未熟児というキーワードで、検索されていた事が分かり、私と同じ思いをされてる人が居るのだと思い、少しでも役に立てばと思い、記事を書く事にしました。
雑貨等の情報を求めてこられた方は、申し訳ありませんがカテゴリでお好みの記事にお進み下さい。
今、このblogを読まれている方は、興味本意の方、同じ境遇で少しでも情報が欲しく、検索されてたどり着いた方だと思います。
ショックな内容があるかもしれません。事実だけを書きます。
私自身、息子と戦った日々が18日間と少なく、たいした情報の提供は出来ないと思います。ただ、このblogを読まれて、身の回りにおられる妊婦さん、奥様、ご本人様、お腹の赤ちゃんに気を配ってあげて下さい。
当たり前の様な事が、当たり前でない事。この事を痛感しました。
2006年9月6日、妻がお腹の痛みを訴えていました。横になって痛みが治まるのを待っていましたが、なかなか治まらず少し経つと、定期的に痛みが来てる様子で、この時点では、二人とも陣痛とは思ってもいませんでした。病院に行き、私は、待合室で待っていましたが、院長先生に呼ばれました。この時、嫌な予感が頭をよぎりました。
先生に言われた事は、「陣痛が来てしまって、子宮口も開き始めている。現在、22週で産まれても、まず生きられない。」「ここで産まれても生きていられない。NICUのある病院を紹介できますが、一般には、25週未満だと受け入れてくれない可能性がある。受け入れてくれても、母体搬送中に出産ということにもなりかねない状況」
遠まわしに「あきらめろ」ということか?「まだ、お腹の中で生きているでしょ!すぐ手続きしてください!」声を荒げていたと思います。
正直、この時、不安より怒りでいっぱいでした。医者として、段取りがあるのかわからないけれど、喋ってないで赤ちゃんを助ける事に専念しろ!って思いました。別室で救急車を待っていましたが、なかなか来ない。30分ぐらい待ったでしょうか、抑制剤の点滴をしながら妻は泣きながら痛みに耐えていました。こんな時です、受付の人が来て「お会計だけお願いしますね」です。カチンと来ながらも、会計に行くと、その人が、「救急車手続きした?あれ?休憩行ったか。もう、知らんよ」
です。殴ってやろうかと思いました。何でこんなに無神経なんだ?
救急車が着いて乗り込む時、救急隊員の方が気付きました。「抑制剤の点滴、動いてない!機械の取り付けが間違えてるよ」最悪の病院です。
搬送先の病院まで20分ぐらいだったでしょうか、搬送中、陣痛が進み、
3分より短い間隔になって、破水もしていました。最悪の状態に備え、隊員の方も、車内で準備を始めました。赤ちゃんが小さい為、いきむと、すぐに出てきてしまうので付き添いの看護婦さんが押さえてくれていました。こんな時も、ただただ声をかけ祈る事しか出来ませんでした。
妻が何とか耐え、到着後すぐに手術室へ搬送先では、看護婦のかた、立会いの先生方が私に声をかけ、励ましてくれていました。入院手続きの書類など渡され、せかされる事はありませんでしたが、何を説明されたかは、この時、頭の中は真っ白で覚えていません。
しばらくして、主治医の先生が来られ、「無事、男の子が産まれました。まだ、処置があるので、あとで、小児科で呼ばれると思います」
出産を終えた妻と、子供の所へ行きました。初めて見るNICUです。
その中で一際ちっちゃな息子がいました。
身長 29.8cm 500gです。
ペットボトルと同じ重さです。
A4サイズの大きさです。
自分で息が出来ません。
目も出来ていないので見えません。
正直ショックでした。
妻はただただ泣いていました。
NICUの主治医の先生に話を受けました。
「最初の三日が、最大の山場、それを越しても、この子達は何があるか分かりません。」
この時、救いだったのが、脳の出血などの異常が全く無い事。
妻と二人、前向きに行こう。こんな小っちゃいのが頑張っているんだか
ら、二人が頑張れなくてどうする!ただ、心の中は、不安でいっぱいでした。小学1年生の長男を近所で面倒見てもらっていたので一旦帰宅。
説明しても、理解は出来ていません。ただ、大変だって事は分かっていました。親戚関係が他県の為、近所の人が色々と助けてくれました。
電話にビクビクしながら、3日の山を乗り切り、順調でした。まだ、何があるか分からない状態だけど、1日乗り切るたびに、生存率は高くなります。最初の1週間は、本当に順調で、先生からも優秀と誉めてもらえました。ただ、不安は消えません。どこかで最悪な場合を考えてしまうのです。障害が残る事は何も考えていませんでした。私が助ければいい。
情報を必死にかき集めました。HPを立ち上げている人にメールもしました。調べれば調べるほど不安が大きくなっていきました。病気の発症率の高さ、病原菌による死に至る確率。
2週間が経とうとした頃、夜病院からの連絡。感染症の疑いがあるとの事。これまで順調だった分、突き落とされた感じでした。私が調べた中で恐れていたのが、「緑膿菌」(この子達の場合、感染後数時間で死に至るケースがあると聞きました)この日まで、呼吸器の圧も下がり(肺に負担が掛かるので早期に圧を下げれるのが望ましい)保育器の加湿(皮膚が不完全・通常であれば羊水のなかに居るから)も、下がっていたのに。点滴も1本になっていたのに...なんで?...
その後、2日、3日と感染症の反応は下がらず、危険性の高い交換輸血(負担が大きすぎる為、ショック死の可能性があります)も覚悟していました。
その上、肺炎、脳内出血、これらによる、痙攣。次々と小さな体に襲い掛かりました。ただただ、薬が効いて感染症が治まってくれる事だけを祈っていました。お腹からの点滴を腕に変える事も、難極まりました。
血管が細く針が刺さらないのです。静脈に1本、動脈に1本輸血の為、針を通さなくてはいけません。最終的に、両方出来ましたが、何度か失敗したみたいで、手も足も内出血だらけでした。感染症によって、白血球が減少し、血が止まりません。
体もむくれ痙攣に顔を歪ませていました。
そして、同月24日、長男のはじめての運動会の日でした。病院からの呼び出しです。症状が悪化し、呼吸も取れない状態。交換輸血です。
最後の望みでした。本人の体力次第です。
何とか乗り越えてくれました。
が、また、急変です。頑張ってくれていましたが、ひだりの肺に小さな穴が無数に開いてしまいました。呼吸の圧で、肺が限界だったのです。
心拍数がどんどん下がっていってました。「抱いておいてあげて下さい」最期と悟りました。
妻は、子供を抱いたまま、心拍数が1上る度に「ほら、1つ上った、もう1つ頑張れ!」涙をこらえて最期まで応援していました。
数字が上るのは、強心剤を投与したからなのに...受け止められなかったのです。2人とも...
そして、妻の腕の中で永い眠りにつきました。
18日間の命だったけれども、顔を見せてくれただけ、私達は幸せだったのかも知れません。どんなに小さくても、「生きる」本能はあるという事。ボロボロになりながら、頑張って生きていてくれた息子を尊敬します。目が見えない状態で、大きな針を刺され、強制的に血を抜きかえられて...自分が同じ状態だったら多分耐えられないと思います。
それを、こんな小さな体で戦ったんだから。
これだけでも、かなり長文になってしまいました。かなり、簡略はしましたが...
今、私が経験した事に直面している方もおられると思います。
正直、不安になる内容の文章だと思います。
ただ、勘違いしないで下さい。子供たちは、諦めていません。
生きようとしています。情報が耳に入れば入るほど不安は募ります。
それでも何かしたいから、情報を集めてしまうんです。悪い事ではありません。戦って下さい。
「出産おめでとう」の言葉も素直に受け止められないかもしれません。
でも、子供は戦っています。がんばってください。子供の為に。
私達夫婦は、平気でタバコを吸っていました。これが1番の原因だと思います。それに、旦那の私の気配りが足りなかった。もう少し早く病院に連れて行けば、抑制剤で治まっていたのに。後悔が後を絶ちません。
妊婦さんで、タバコを吸われている方がいたら、やめさせてあげて下さい。病院でもよく見かけます。わざわざ声をかけてやめさせたりしませんが...身の回りにいれば気を付けてあげて下さい。
今日は、記事をもう書かないと思っていましたが、アクセス解析を見ていたら、超早産・超未熟児というキーワードで、検索されていた事が分かり、私と同じ思いをされてる人が居るのだと思い、少しでも役に立てばと思い、記事を書く事にしました。
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今、このblogを読まれている方は、興味本意の方、同じ境遇で少しでも情報が欲しく、検索されてたどり着いた方だと思います。
ショックな内容があるかもしれません。事実だけを書きます。
私自身、息子と戦った日々が18日間と少なく、たいした情報の提供は出来ないと思います。ただ、このblogを読まれて、身の回りにおられる妊婦さん、奥様、ご本人様、お腹の赤ちゃんに気を配ってあげて下さい。
当たり前の様な事が、当たり前でない事。この事を痛感しました。
2006年9月6日、妻がお腹の痛みを訴えていました。横になって痛みが治まるのを待っていましたが、なかなか治まらず少し経つと、定期的に痛みが来てる様子で、この時点では、二人とも陣痛とは思ってもいませんでした。病院に行き、私は、待合室で待っていましたが、院長先生に呼ばれました。この時、嫌な予感が頭をよぎりました。
先生に言われた事は、「陣痛が来てしまって、子宮口も開き始めている。現在、22週で産まれても、まず生きられない。」「ここで産まれても生きていられない。NICUのある病院を紹介できますが、一般には、25週未満だと受け入れてくれない可能性がある。受け入れてくれても、母体搬送中に出産ということにもなりかねない状況」
遠まわしに「あきらめろ」ということか?「まだ、お腹の中で生きているでしょ!すぐ手続きしてください!」声を荒げていたと思います。
正直、この時、不安より怒りでいっぱいでした。医者として、段取りがあるのかわからないけれど、喋ってないで赤ちゃんを助ける事に専念しろ!って思いました。別室で救急車を待っていましたが、なかなか来ない。30分ぐらい待ったでしょうか、抑制剤の点滴をしながら妻は泣きながら痛みに耐えていました。こんな時です、受付の人が来て「お会計だけお願いしますね」です。カチンと来ながらも、会計に行くと、その人が、「救急車手続きした?あれ?休憩行ったか。もう、知らんよ」
です。殴ってやろうかと思いました。何でこんなに無神経なんだ?
救急車が着いて乗り込む時、救急隊員の方が気付きました。「抑制剤の点滴、動いてない!機械の取り付けが間違えてるよ」最悪の病院です。
搬送先の病院まで20分ぐらいだったでしょうか、搬送中、陣痛が進み、
3分より短い間隔になって、破水もしていました。最悪の状態に備え、隊員の方も、車内で準備を始めました。赤ちゃんが小さい為、いきむと、すぐに出てきてしまうので付き添いの看護婦さんが押さえてくれていました。こんな時も、ただただ声をかけ祈る事しか出来ませんでした。
妻が何とか耐え、到着後すぐに手術室へ搬送先では、看護婦のかた、立会いの先生方が私に声をかけ、励ましてくれていました。入院手続きの書類など渡され、せかされる事はありませんでしたが、何を説明されたかは、この時、頭の中は真っ白で覚えていません。
しばらくして、主治医の先生が来られ、「無事、男の子が産まれました。まだ、処置があるので、あとで、小児科で呼ばれると思います」
出産を終えた妻と、子供の所へ行きました。初めて見るNICUです。
その中で一際ちっちゃな息子がいました。
身長 29.8cm 500gです。
ペットボトルと同じ重さです。
A4サイズの大きさです。
自分で息が出来ません。
目も出来ていないので見えません。
正直ショックでした。
妻はただただ泣いていました。
NICUの主治医の先生に話を受けました。
「最初の三日が、最大の山場、それを越しても、この子達は何があるか分かりません。」
この時、救いだったのが、脳の出血などの異常が全く無い事。
妻と二人、前向きに行こう。こんな小っちゃいのが頑張っているんだか
ら、二人が頑張れなくてどうする!ただ、心の中は、不安でいっぱいでした。小学1年生の長男を近所で面倒見てもらっていたので一旦帰宅。
説明しても、理解は出来ていません。ただ、大変だって事は分かっていました。親戚関係が他県の為、近所の人が色々と助けてくれました。
電話にビクビクしながら、3日の山を乗り切り、順調でした。まだ、何があるか分からない状態だけど、1日乗り切るたびに、生存率は高くなります。最初の1週間は、本当に順調で、先生からも優秀と誉めてもらえました。ただ、不安は消えません。どこかで最悪な場合を考えてしまうのです。障害が残る事は何も考えていませんでした。私が助ければいい。
情報を必死にかき集めました。HPを立ち上げている人にメールもしました。調べれば調べるほど不安が大きくなっていきました。病気の発症率の高さ、病原菌による死に至る確率。
2週間が経とうとした頃、夜病院からの連絡。感染症の疑いがあるとの事。これまで順調だった分、突き落とされた感じでした。私が調べた中で恐れていたのが、「緑膿菌」(この子達の場合、感染後数時間で死に至るケースがあると聞きました)この日まで、呼吸器の圧も下がり(肺に負担が掛かるので早期に圧を下げれるのが望ましい)保育器の加湿(皮膚が不完全・通常であれば羊水のなかに居るから)も、下がっていたのに。点滴も1本になっていたのに...なんで?...
その後、2日、3日と感染症の反応は下がらず、危険性の高い交換輸血(負担が大きすぎる為、ショック死の可能性があります)も覚悟していました。
その上、肺炎、脳内出血、これらによる、痙攣。次々と小さな体に襲い掛かりました。ただただ、薬が効いて感染症が治まってくれる事だけを祈っていました。お腹からの点滴を腕に変える事も、難極まりました。
血管が細く針が刺さらないのです。静脈に1本、動脈に1本輸血の為、針を通さなくてはいけません。最終的に、両方出来ましたが、何度か失敗したみたいで、手も足も内出血だらけでした。感染症によって、白血球が減少し、血が止まりません。
体もむくれ痙攣に顔を歪ませていました。
そして、同月24日、長男のはじめての運動会の日でした。病院からの呼び出しです。症状が悪化し、呼吸も取れない状態。交換輸血です。
最後の望みでした。本人の体力次第です。
何とか乗り越えてくれました。
が、また、急変です。頑張ってくれていましたが、ひだりの肺に小さな穴が無数に開いてしまいました。呼吸の圧で、肺が限界だったのです。
心拍数がどんどん下がっていってました。「抱いておいてあげて下さい」最期と悟りました。
妻は、子供を抱いたまま、心拍数が1上る度に「ほら、1つ上った、もう1つ頑張れ!」涙をこらえて最期まで応援していました。
数字が上るのは、強心剤を投与したからなのに...受け止められなかったのです。2人とも...
そして、妻の腕の中で永い眠りにつきました。
18日間の命だったけれども、顔を見せてくれただけ、私達は幸せだったのかも知れません。どんなに小さくても、「生きる」本能はあるという事。ボロボロになりながら、頑張って生きていてくれた息子を尊敬します。目が見えない状態で、大きな針を刺され、強制的に血を抜きかえられて...自分が同じ状態だったら多分耐えられないと思います。
それを、こんな小さな体で戦ったんだから。
これだけでも、かなり長文になってしまいました。かなり、簡略はしましたが...
今、私が経験した事に直面している方もおられると思います。
正直、不安になる内容の文章だと思います。
ただ、勘違いしないで下さい。子供たちは、諦めていません。
生きようとしています。情報が耳に入れば入るほど不安は募ります。
それでも何かしたいから、情報を集めてしまうんです。悪い事ではありません。戦って下さい。
「出産おめでとう」の言葉も素直に受け止められないかもしれません。
でも、子供は戦っています。がんばってください。子供の為に。
私達夫婦は、平気でタバコを吸っていました。これが1番の原因だと思います。それに、旦那の私の気配りが足りなかった。もう少し早く病院に連れて行けば、抑制剤で治まっていたのに。後悔が後を絶ちません。
妊婦さんで、タバコを吸われている方がいたら、やめさせてあげて下さい。病院でもよく見かけます。わざわざ声をかけてやめさせたりしませんが...身の回りにいれば気を付けてあげて下さい。
先日、公開しました工房商品の「被せガラス」を「切子」と表現し、解説文面にて伝統工芸「切子」との違い、説明を記載するつもりでしたが、こちらのずさんなブログ作成により、不適切な表現・間違えが多々有りました事、深くお詫び申し上げます。
ブログ文面も訂正させて頂きました。
ご指摘のコメントを頂いた方、ありがとうございました。
また、当方の記事により、不快な思いをされたと思います。
重ねてお詫び申し上げます。
文章表現の誤り等、ご指摘頂ければ幸いです。
これからも、厳しくあたたかいご意見お待ちしております。
エッチング工房 〜樹華〜
ブログ文面も訂正させて頂きました。
ご指摘のコメントを頂いた方、ありがとうございました。
また、当方の記事により、不快な思いをされたと思います。
重ねてお詫び申し上げます。
文章表現の誤り等、ご指摘頂ければ幸いです。
これからも、厳しくあたたかいご意見お待ちしております。
エッチング工房 〜樹華〜
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